トラブルの原因はエゴ?「五つの傷~癒やしのメッセージ~」感想
リズ・ブルボー著「五つの傷~癒やしのメッセージ~」を読んだ感想を紹介。こちらは以前紹介した「五つの傷」の続編に当たる本だ。
どうすれば五つの傷を癒せるか、前著では書ききれなかった部分にも踏み込んでいる。心に負った傷を治したい人は要チェックだ。
前著「五つの傷」も参考に
前著「五つの傷」は、自分がどういう傷を持っているかを身体つきや振る舞いの点から明らかにした。さらにそれぞれの傷を持つ人が、仮面を付ける(どんな振る舞いで傷を守ろうとする)のかを解説していた。これまでの癒し・カウンセリング系書籍にはない新しい観点が読みどころだ。
今回の第二弾でも傷や仮面について説明されているが、前著ほど細かくは書かれていなかった。傷について詳しく知りたい人は、まず第一弾からから読むことをおすすめしたい。
第一弾「五つの傷」の感想はこちらから⇒自分が嫌いな人に読んでほしい。リズ・ブルボー著「五つの傷~心の痛みをとりのぞき本当の自分になるために~」感想
第二弾は第一弾で取り上げきれなかった「その傷をどう癒やすのか?」というステップをより詳しく書いている。傷について知識のある人が、癒やしの実践のために読む本なのかと思う。
第二弾「五つの傷」はこちら↓
背後には「エゴ」の影
「癒す方法」を語るうえで大事になってくるのが、「エゴ」の存在だ。著者のリズさん曰く、「エゴは私達自身の思い込みの総体」なんだという。
人は過去の経験から判断して動くが、エゴは過去の嫌な経験やトラウマから判断して動く。過去と同じような状況に出くわすと、ただちに仮面を付けて傷を守ろうとするのだ。
エゴは「仮面を付ければ痛みから身を守れる」と思っているが、実際は逆だ。エゴに従って振る舞えば振る舞うほど傷は深くなり、周りの人や物事とのトラブルが絶えなくなる。
自分では「もう苦しみたくない」「同じ失敗はすまい」と思っているのに、抜け出せず繰り返してしまう。これはエゴが傷から目を逸らさせ、癒やしの邪魔をしていることが原因だ。
エゴの振る舞い
エゴの大きな特徴は、常に「私は~」「私が~」で物事を考えることだ。周りのあらゆる状況に対し、自分中心でしか物事を見られない。
普段の暮らしでも、こんな考え方をすることは多いんじゃなかろうか↓
・他人のせいにする→「私は悪くない」
・自分を責める→「私のせいで」
・褒めてもらいたがる→「私を認めて!」
・周囲の批判→「私なら〇〇する・〇〇しない」
・比較→「私は〇〇より優れている・劣っている」
・否定→「私は違う」
etc……
「五つの傷」を読んでいるまさにそのとき、「私はそんなこと無いし」と考える人も多いとリズさんは言う。その「私は~」こそ、エゴの声だと言える。
エゴの支配を断つには?
傷を癒やすには、エゴの支配から逃れる必要がある。だがエゴは「傷が癒やされたら自分は用済みになる」ことを知っているので、癒やしを全力で邪魔するんだという。
癒やしの第一段階は「傷・エゴの存在を認める」ことだが、これは本を読んだ人ならできているはずだ。「五つの傷」に興味を持った時点で、癒やしは大きく進んだといえる。
さらにエゴの影響を断つにはどうするのがいいか?とくに参考になりそうだと思ったことを挙げてみたい。
エゴの声を聞き分ける
今考えたことは、自分の本心なのかエゴなのか?見分けるコツとして、リズさんは「不安や怖れがあるかどうか」を確かめなさいと言っていた。
あなたがなにかアクションを起こそうとしたとき聞こえてくる、「でも……」「やっぱり……」という声。それこそがエゴの声だ。
たとえば断捨離でも、「捨てたら後悔するかも……」という内なる声をよく聞く。これはエゴの声だ。逆に「私はミニマリストなんだから捨てなきゃ」なんていうのもエゴだろう。
逆に私たち自身が望んで何かやろうとするとき、心は穏やかで冷静なままだ。リズさんはこれを「直感」と言っていた。
リズさんの言う直感は、感覚より「意思」の力を感じる。自分がこうしようと思って選び取るのだ。
私はこれまで「直感で生きている」と思ってきたが、なかにはエゴの声に従って動いていたことも多くあったと知った。「モヤモヤを解消したい」と思うときは、おそらく高確率でエゴが私にささやきかけているのだ。
そこで今度からは、あえてモヤモヤを放っておくことにした。そこから逃れようともがくのではなく、ただ感じ取るようにする。
エゴと対話する
エゴと対話することも、癒やしには効果的だとリズさんは言う。その流れはこんな感じだ↓
・エゴの言い分を認める
・エゴに感謝する
・そのうえで「私はこうしたい」と言う
・だから「エゴはもう休んでいい」と言う
エゴを意見を受け入れつつ、自分の意思を貫く。さらに大事なのが、「感謝」なんだそうだ。
エゴは私たちの邪魔をする存在だが、決して悪意は持っていない。エゴはエゴで、良かれと思ってやっているのだ。
私たちがエゴの善意を認めれば、逆にエゴの影響は弱まるという。エゴは否定したくなる存在だが、エゴと争っても傷は癒やされない。
期待するのを止める
エゴが動くとき、その裏には「こうなってほしい」という期待がある。だから期待どおりの結果が得られないと、不機嫌になったり落ち込んだりするのだ。
だが周囲の状況は、自分ではコントロールできない。私たちが抱く期待も「思い込み」に過ぎないのだ。
期待することを止めるには「責任(結果を受け入れる覚悟)」がいる。行動の結果がどう転ぼうと、それを受け入れる心意気だ。これは結果によって生じる痛みも含まれる。
痛みを引き受けるのは怖いことだが、世界が崩壊するわけじゃない。恐れを乗り越えてドーンと構えたい。
「今この瞬間」に集中する
エゴは常に過去の経験に基づいて考えるので、「今この瞬間」を生きていない。過去を振り返って後悔したり、未来を先読みして勝手に不安になったりする。
過去と未来を行ったり来たりするのがエゴなので、私たちは意識的に「今」に集中する。先のことは置いといて、目の前の状況をただ見つめることだ。
受け入れるとはどういうことか?
私は第一弾「五つの傷」を読んだとき、私の中には「受け入れる=物事を肯定的に捉える」という思い込みがあった。だがリズさんの言う受容は、肯定も否定もしないことだった。
ポジティブ思考はいいことだが、行き過ぎれば逃避になる。結局は物事を歪めて見ているのだ。「受け入れる=ポジティブシンキング」と考えていたときは「無理なときもあるし」と反発心があったが、そうでないと知って気が軽くなった。
プラス思考もマイナス思考も、人が物事に「意味づけ」することで起こる。だが事実は単なる事実で、本来は意味などないはずだ。「受け入れる」とは、そうした意味付けをしないでありのままに見つめることかと思う。
他人には「鏡の理論」を適用しない
リズさんは周囲の環境は「私たちに傷を自覚させるためにある」ものだと言っていた。周りは私たちを映す鏡なのだ。
本の中では、
・自分の他人への振る舞い
・他人の自分への振る舞い
・自分の自分への振る舞い
の3つは全く同じレベルにあると言っていた。これを「人生の三角形」という。
もしあなたが他人を批判すれば、それはあなた自身が「批判されることへの恐れ」を持っていることになる。またその振る舞いを見て、他人もあなたを同じように批判するのだ。
だから「周りから傷つけられた」と感じたときは、傷とエゴを自覚する絶好のチャンスだ。自分の傷付きを静かに受け入れることで、次第に傷は癒えていくとリズさんは言う。
この知識を得ると、周りの人に対して「あなたは私を鏡にして欠点を映し出しているのだ」とつい考えたくなる。だがリズさんは「鏡の理論は自分にだけ適用しましょう」と注意していた。
確かにその人も傷を持っているんだろうが、それを癒せるのはその人だけだ。私たちは私たち自身の傷を癒やすことにだけ集中したい。
前著に引き続き、今回も癒やしに関するノウハウが満載だった。とくに「エゴ」の扱いを学べたことは大きい。
周囲との関係に悩んでいる人は、ぜひ2冊合わせて読んでみてほしい。