【は?】ブルゾンちえみの新ネタ、笑うのはセクハラ男だけでしょ
正月早々ブルゾンちえみの新ネタが炎上しているので、私も思うところを述べてみたい。
私は問題のネタを観る前に寝てしまったのだが、話を聞いてみると「そりゃ炎上するわな」と納得した。ヘタをすると、セクハラ男を調子づかせかねない内容だからだ。
SNSで「#Me Too」のタグが大流行の昨今、このネタはマズい。
「素直じゃない女」とは?
炎上しているネタをザッと紹介すると、こんな感じだ↓
・ちえみ、独白しつつペットボトルの水を飲む
・男たちがそのペットボトルの水を飲みはじめる
・ちえみが「私の水だよ」と嫌がる
・が、「要は照れてんだよね」「それで喜ぶ自分が恥ずかしいだよね」と撤回
・ちえみ、転んでケガする
・男たちがちえみを介抱する
・ちえみ、「嫌だって」とはねのける
・そんな素直になれない自分を変える宣言
・「Don’t be shy」
とくに問題になっているのは、前半の赤字の部分だと思われる。ここだけ観ると、女性は男性のセクハラを本当は喜んでいるというふうに取れる。
しかし後半を観ると、男性に優しくされても素直になれない女性のジレンマが出てくる。そこをブチ破って、今年は素直になるという宣言につながる。
実際問題、人が意地を張って損するケースというのは少なからずある。よく分からないプライドやら申しわけなさで、素直に喜べないこともあるかもしれない。
私の経験からいっても、意地を張っていいことは一つもない。日本はガマンが美徳の国だが、もっと皆言いたいことを言えばいいと思う。
ブルゾンちえみのネタも、もっと素直になろうやというメッセージと考えられなくもない。
イヤなもんはイヤに決まってんでしょ
が、そのうえで言いたいのは、イヤなものはイヤに決まってるだろということだ。
こちとらイヤだからイヤだと言ってるのであって、決して照れ隠しで嫌がっているワケじゃない。自分の身に置き換えればすぐ分かるはずだ。
昔から「嫌よ嫌よは好きのうち」という言葉があるが、これは痴漢が自分を正当化するためによく使う言いワケだ。ヤツらは本気で、女性の方も喜んでいたと思い込んでいるらしい。
未だにこれを信じている人は、セクハラの気が強い人物とみてほぼ間違いない。もしブルゾンちえみのネタを純粋に楽しめてしまった人がいたとしたら、マズいと思った方がいい。
イヤと言えない場合も多い
しかし「イヤ」と言われなかったら大丈夫なのかといえば、もちろんそんなことはない。職場の上司など、立場上ハッキリNOといえないケースは未だにある。これはセクハラだけでなく、パワハラも絡んでいる。
自分の立場を利用して相手を思い通りに動かそうというのも、すべからくアウトだ。これも自分の身に置き換えればすぐ分かることだと思うのだが、ハラスメント加害者には通じないのが面倒くさい。
セクハラーの認知の歪みは強い
こういうことを言うと必ず、男性蔑視だと騒ぐ輩がいる。しかしこちらは、全ての男性がセクハラするものだとは言いたいワケじゃない。
ここで問題なのは、「女のイヤはイヤじゃない」というメッセージを真に受けてしまうセクハラーが一定数いるということだ。こういうネタのせいで、ますますヤツらは自分たちの考えに確信を持てしまう。
調子づいたセクハラーの声が大きくなれば、世間もセクハラを許す空気に逆もどりしてしまう。そういう事態は、なんとしても止めたいのだ。
ネタを最後まで見れば分かるでしょという言い分は、残念ながらセクハラーには通じない。自分たちの都合のいい部分だけを切り取って、都合よく考えるだけだからだ。
もともと人は、自分が信じたいものだけを信じる生き物だ。セクハラを平気でするような人間は、そういうフィルターが特に強い。ヤツ等の考えを崩すのはかなりの根気がいるだろう。
ハリウッドから始まった告発の流れのおかげで、セクハラを許さない空気が形作られてきている。だのに当の女性が「それは照れ隠し」とネタにしてしまえば、セクハラする人間にまた誤解を与えてしまう。
嫌ならハッキリ言っていい
しかしブルゾンちえみのネタの後半部分にしても、人によっては「余計なお世話」と感じることもあるかもしれない。そういうときはハッキリ、自分の考えを言えばいいと思う。
言いたいことをガマンしたり、場の空気を読んで思ってもいないことを言うのは、実に疲れる。心は無視されると、深く傷つくのだ。
心が深く傷つくと、自分に自信がなくなって周りの目ばかり気にするようになる。人のちょっとした一言にうろたえたり、無駄にキレるようになったりするのだ。
キレの問題について、おすすめの本を紹介中⇒田房永子さん「キレる私をやめたい」感想。怒りっぽい性格を直したい人へ。
人間、一番大事なのは自分だ。自分がやりたいことや言いたいことを表に出さなきゃ、人生損じゃなかろうか。
嫌われたらどうしようという人も多いが、周りの空気をいくら読んでも、その人達が自分の人生を保証してくれるワケじゃない。誰かに嫌われたって、死ぬわけじゃないから大丈夫だ。
こういうネタで笑いが取れると考えるあたり、テレビは古い。女性は男性を優しく受け入れるものという考え方が、業界のなかでは根強いんだろう。
そして日本はまだまだテレビが強い国だから、古い考え方が広まりっぱなしになってしまっている。女性の活躍云々というなら、セクハラを助長する空気をまっさきになんとかしてほしいものだ。
女性に限らず、立場の弱い人が自分の意見をもっとハッキリ言えるようにもなるといい。どこまでいっても、世間は世間、自分は自分だ。