ミニマリストが、持たない暮らしを楽しむために注意したいこと
今回は、ミニマリスト生活を楽しむために私が注意していることをお話しします。試行錯誤な持たない暮らしながら、自分なりに「落とし穴」にハマらぬよう心がけています。
ミニマリストの目的は「より良い生活」であって、「ものを持たない」ことではありません。「より少なく」という部分にこだわり過ぎると、かえって自分を苦しめることになりかねません。
自慢のためにものを捨てない
まずは、「自慢のためにものを捨てない」。今までも断捨離の様子を何度となく記事にしていますが、「人に見せるために捨てる」ことはしないように気を付けてきました。
「ネタがないから何か断捨離しよう」「これを捨てたら話題になるんじゃないか」。そういう思いで捨ててはいないか、自問自答しています。
それでも人間なので「今日はこれを捨てたった」と自慢したくなるときはあります。けれどそれは「もう必要ないと思ったから」捨てたものです。人に言いふらすことありきで断捨離したものではありません。
逆に、「失敗したな」と思う断捨離もありました⇒勢いだけでカーテンを断捨離してしまった枯れ女が実感する、メリットとデメリット
人にアピールするために断捨離しだすと、加熱して「もの減らしレース」になるかもしれません。ものを捨てることに夢中になるあまり、自分の大事なものが分からなくなってはいけないと思っています。
不便な生活に酔いしれない
もの捨てを自慢しないのと同じく、「不便な生活」に酔いしれないよう気を付けています。持たない暮らしは多少の不便がありますが、別に不便な生活が偉いワケではないからです。
例えば私の場合、洗濯機を使わず手洗いしています⇒洗濯機も洗剤も使わず、セスキ炭酸を使って洋服を洗う節約術
手洗いで済ませるのは「今はそれで十分」という思いがあるからです。今後忙しくなったら、洗濯機を買う日がくるかもしれません。
ただ、持たない暮らしは「あれを代わりに使ってみよう」「これはなくても済むんじゃないか?」とアレコレ考える楽しみがあります。それが上手くいったときは「よっしゃ!」と自画自賛することもあります。
「持たない自分に酔いしれているのか」。それとも「ものを増やさずに済んで純粋に嬉しいのか」。線引は難しいですが、不便な生活を自分に強制しすぎないようには気を付けています。
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何でも自分で試してみる
「これは捨てようかな?」と迷ったとき、まずは「実際に捨ててみる」ようにしています。そのままゴミ箱へ直行するものもあれば、「様子見」で断捨離用スペースに置くこともあります。
冷蔵庫の横が、今は我が家の断捨離スペースと化しています⇒ミニマリストになりたい枯れ女が断捨離した不要品。持たない暮らしへの道は遠い
気になるときは、ネットでほかのミニマリストの人たちの考えを見ることもあります。「そういう考えもあるのか」と新たな視点に気付けたり、「これは面白そうだ」と思うこともあります。
そしてそれが自分に合うかどうかは、やはり試してみなければ分かりません。ものを捨てるにしても増やすにしても、自分で体験して経験値を積むことが大切だと思っています。
ものを持つことに罪悪感を覚えない
ミニマリストは、ものを減らす人たちです。私はそこで「持ち物を減らさなきゃいけないのか」と、考えすぎてしまうことがあります。
ミニマリストの佐々木典士さんの本などを読んでも、つい自分と比べてしまったり⇒佐々木典士さん「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」感想。ミニマリストとは何者か?
けれど、「ミニマリストはこうあるべき」という正解があるワケではありません。究極「自分はミニマリストだ」と思えば、その人はその瞬間からミニマリストです。
何が必要で、何が無駄なのか。それは人によって違います。他人から見たらガラクタでも、自分にとっては「必要だ」と思うものもたくさんあるはずです。
私も未だ「趣味のオタクグッズ」を山のように持っていますが、無理に捨てようとは思わなくなりました。いつかお別れのときが来るかもしれないし、そのまま大事に持ち続けるかもしれません。
処分にしても残すにしても、「自分が納得しているかどうか」を大事にしています。「これは私にとって必要なものだ」と納得できるものなら、残してもいいんじゃないかと思っています。
ものがあふれる現代社会、「持つか」「持たざるか」は常に人の頭を悩ませます。大事なことは、目の前のものが「自分にとって本当に必要かどうか」ということではないでしょうか。