ミニマリストのファッションは、洋服が何着あるかでは決まらない理由
今回は、「洋服が何着ならミニマリストと呼べるのか?」という問題について考えます。けれど、具体的な数にこだわることはミニマリストの本質から外れています。
「自分のファッションにとって最低限必要な分だけ」を持てば、その人はミニマリストです。洋服が100着でも10着でも、それが必要最低限なら良いのではないでしょうか。
手に負える量は人によって違う
なぜ具体的な数ではミニマリストかどうか決まらないかと言えば、着こなせる服の量は人それぞれだからです。
100着の服を着こなせる人もいれば、50着の服でも持て余す人もいます。これは努力云々というより、元々の好みや性格が大きく関わってくるかと思います。
服に限らず、たくさんのものをきれいに管理できるのは、ある種の才能です⇒整理整頓や掃除が苦手なズボラこそ、断捨離してミニマリストになった方が良い理由
多くの人が服のコーディネートや管理に頭を悩ませるのは、手に負えないくらい服を持ちすぎているからです。自分の芽が行き届く範囲に納めれば、着こなしやおしゃれの悩みはなくなります。
服を減らせばむしろコーディネートは楽に、そして自分らしく楽しめるようになります⇒おしゃれ上手は節約上手。今ある洋服でコーディネート楽しむ方法とは
理想は「8割収納」
「自分にとってちょうど良い量が分からない」という場合は、とりあえず「今ある収納に収まる分」だけにするのがおすすめです。クローゼットに入りきらないほどの服は、持ちすぎだと思った方が良いです。
私も現状、収納に余裕で収まる分しか服はありません⇒これ以上は無理と思った洋服を再々断捨離。衣類は、クローゼットに収まる分だけを持つ
クローゼットの使いやすさを考えると、最大でも「8割収納」が限界です。いくら収納にしまえても、中がぎゅう詰めなのは良くありません。
人と比べる必要はない
ちょうど良い量が人それぞれにも関わらず、数にこだわる人もまた多いです。これは、ほかのミニマリストを基準にしているからにほかなりません。
たとえば有名ミニマリストの佐々木典士さんは、小さなクローゼットに数着の洋服があるだけです。それを見て、「ここまで減らさないとミニマリストになれない」と感じた人もいるのではないでしょうか。
けれど極端な話「自分はミニマリストだ」と思えば、その人はもうミニマリストです。むしろ人と比べて悩むと、ミニマリストへの道は遠ざかってしまいます。
佐々木さんも、著書の中で「ミニマリストは人と比べない」と言っています⇒佐々木典士さん「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」感想。ミニマリストとは何者か?
「服が少ないほど偉い」「無地のシャツを着なければいけない」などというルールはありません。ミニマリストは1つの考え方・主義であって、人と競争するための道具ではないはずです。
ミニマリストはどこまでも「自分にとって必要かどうか」を考える人たちです。洋服の量が多くても、あなた自身が「ちょうど良い量だ」と感じれば、それで十分です。
服の減らし過ぎはかえって困る
断捨離レースにハマると、次に起こるのは「減らしすぎ」です。必要な服を残すはずの断捨離が、捨てるための断捨離となるのです。
けれど服は、現代社会で暮らすには「必須」のものです。大半は持ちすぎの人が多いとはいえ、減らし過ぎも良くありません。
私自身も7~8割の洋服を断捨離して、手元にあるのはお気に入りのカジュアルな洋服ばかりです。今は全く不自由ないのですが、たまに「シャツの1枚くらいは取っておいても良かったか」と思うことがあります。
理由は、人と会うときや大事な用事のときなどに着ていけそうな服が全くないからです。当時の私には、その辺りの考えが完全に抜け落ちていました。
私の場合は単なる間抜けですが、人と比べて断捨離すると同じようなことが起こりかねません。バッグパック1つで暮らすミニマリストと張り合って服を減らすのは、会社員ミニマリストには無謀です。
「下着は2枚まで」「足りないものは現地調達」など、1つの場所に根を下ろす人間には無理があります。ミニマリストの断捨離は、自分の生活に支障がでないかどうかを考えることも大事です。
ミニマリストは、どこまでも自分が基準です。模範解答などないので、正解は自分の頭で考えるしかありません。
洋服の量にしても、自分で悩んだり失敗しながら探っていくしかないのだと思います。「この服は必要かどうか?」を考え続けることが、ミニマリストのファッションなのではないでしょうか。