「女の敵は女」←こう言うヤツが一番男尊女卑でヤバい。
「女の敵は女」という言葉がある。女性は女性の悪口を言ったり足を引っ張るのが好きだから、油断ならないという声も未だに多い。
が、果たしてこれは本当か。そうやって「敵」を作って対立を煽ろうとする人たちこそが、一番危ないんじゃないだろうか?
なぜ女性は女性の足を引っ張るのか?
私がこんなことを考えたのは、6月の末、JALの現役社員である神野さんという女性がマタニティハラスメントで会社を訴えた裁判が和解した記事を読んだからだ。
その内容は訴えた側の要求をほぼ受け入れた、勝利的な和解だった。それはそれで良かったと思うのだが、神野さんは裁判の途中で色々なバッシングを受けたらしい。そしてバッシングしてくる人の中には、女性もいたという。
マタニティハラスメントは女性、特に働く主婦に取っては重大事のはずだ。なのになぜ、それを訴えることで同じ女性から文句が出てくるのか。
私はこういうとき「頭が古い」の一言で片付けたくなるが、これだと「やっぱり女の敵は女じゃないか」と思われかねない。なのでもうちょっと、その裏にある理由などを考えてみることにする。
女性の敵は「男尊女卑」族
こういうときに文句を言う人には、共通点がある気がする。それは、「男尊女卑」の考えが強い人ということだ。
社会に出る女性は増えたが、日本はまだまだ男尊女卑が根強いと感じる。未だに、
・女性は結婚して子供を産むのが当たり前
・女性は男性を世話するもの
・女性は若くて美しいほど価値がある
こんな考えが正しいという空気がある。自分では気が付いていないが、無意識レベルで男尊女卑が染み付いてしまった人たちは意外と多いと思う。
神野さんは自分が受けたバッシングついて、「裁判を起こした意味を想像できないからかもしれない」という意味のことを言っていた。さらに記事の中では、「反射神経的にバッシングする」という言葉もあった。
想像力が働かないから、感情だけで文句を言ってしまう。そして文句を言わせる根っこにあるのが、「男尊女卑」の考え方だと思うのだ。
私も大変=あなたも大変?
さらに神野さんの記事の中で印象的だったのが、「私も大変だったんだからあなたも我慢しなさい」という言葉だ。バッシングする女性は、こういう風に考えているのかもしれないということだった。
この裁判のことに限らず、「私も苦労したんだから……」という言葉は実によく出現する。仕事や勉強などの悩み相談で、こういうお説教を受けた人もいるんじゃないだろうか。
しかし考えてみると、この言葉は筋が通っているようで通ってない。「私が大変=あなたも大変であるべき」というのは、事故や災害に巻き込まれた人が「あなたも同じ目に遭ってね」と言っているのと同じことじゃなかろうか。
地震や交通事故なら明らかにオカシイと分かるのに、男女差別の問題になると何故かまかり通るこの暴論。これこそ、男尊女卑の空気が世の中全体に広がっている証拠じゃないかと思う。
バッシング=自分を守るため?
なぜ「私も大変だったから苦労しろ」となるのか?私はそういうバッシングを、自分の身を守るための防御反応じゃないかと思っている。
男尊女卑の中で育った人は、色々な疑問を持ちつつも「それが正しい」と教えられて生きてきた。中には、やりたいことを自由にできずに生きてきた人も多いんじゃないかと思う。
しかしそれが「正しくない」となったら、今までその価値観を信じて生きてきた自分の人生は何だったのか。これまでずっと、しなくて良い我慢をしてきたことになってしまう。
そういう「自分の人生は間違っていた」的なことを認めるのは、長年生きてきたほど恐ろしいことだ。だからこそ、自分の価値観を壊されまいと防衛本能が働くんじゃないだろうか。
そのまま我慢が正しいと考える人生を送るのは、その人の自由だ。が、それを他の人にまで押し付けたり、我慢しない人をバッシングするのはおかど違いじゃないのか。
それに人生は、何年経っても遅いということは無い。もう我慢したくないなら、今から我慢するのを止めれば良いんじゃないか。それまでの人生はそれまでとして、これからの事をもっと考えても良いと思う。
「女の敵は女」で得をするのは?
女性の本当の敵は、男尊女卑の考え方を持った人たちだ。老若男女に限らず、この考えを変えていかないと女性の生きづらさは社会から消えないだろうと思う。
それを「女の敵は女」というのは、男尊女卑から目を逸らすためのダミーなんじゃないだろうか。
そうやって女性同士がいがみ合っているうちは、男尊女卑には目が向かない。女性は怖いということを植え付けて、声を上げる人を孤立させる働きもある気がする。
陰謀論めいてしまったが、マスコミなどはそうやって対立軸を煽る報道の仕方が多い。対立軸を煽ることで誰が一番得をするのか、冷静になって考えることは必要だと思う。
男尊女卑の問題は、まだまだ根強く残っている。後10~20年くらいは、「女性はこうあるべき」のような考え方は変わらないかもしれない。
だからこそ、今声を上げている人を大事にしないといけない。バッシングをするというのは、自分は考えが古いということを自ら証明しているようなものだ。