イクメンという言葉がうざい理由。父親の子育ては当たり前でしょ?
イクメンが最近では定着しつつあるが、これは本当に喜ぶべきことか。むしろイクメンという言葉がある限り、母親ばかりが子育てに苦労する現状は解決しない気がする。
実際お母さんの中には、イクメンという言葉にイラッとする人もいるという。父親の子育て参加は良いことだが、それを世間が褒め称えるのはどうなんだろうか。
イクメン=男性の特別扱い
イクメンという言葉には、男性の子育て参加は特別なものというイメージがある。これは裏を返すと、男性は子育てしないのが普通ということだ。
しかし本来、父親だって親なんだから子育てに参加するのは当たり前だ。それを「イクメン」などと特別扱いするのは、その時点で差別と言っても良いかもしれない。 実際日本以外の諸外国には、イクメン的な言葉が無い。これは、父親の子育て参加が当たり前という意識が根付いているからだ。イクメンという言葉を聞くと、向こうの人達は首をかしげるという。 さらにイクメンの中には、子供と遊ぶなど目立つところばかりやりたがる「育児の良いとこ取り」をする人間も少なくない。一方のおむつ替え、寝かしつけ、ご飯など、目立たなくて苦労の多い部分は妻に任せきりという男性はいないだろうか。 それで周りからは「イクメンの旦那がいて良いね」と言われるのでは溜まったもんじゃない。これでは逆に、母親と父親の間に大きな溝ができてしまう気がする。 子育て中の女性がイクメンという言葉にイラッとするのも、そういう背景があるからだと思う。本当は良いところも悪いところも、分担して平等にやっていくのが理想じゃなかろうか。母親ばかり負担が増えるワンオペ育児
イクメンがもてはやされる一方で、母親一人に負担がのしかかるワンオペ育児の問題も注目されるようになった。
今は専業主婦よりも、仕事をする兼業主婦の方が多い時代だ。なのに育児は母親の専任という、何ともかたよった現状が当たり前のようにある。仕事・育児・家事、さらには介護と、今の母親には何でも求められる時代だ。
なのに母親は、その役割全てを頑張ってもほぼ100%褒められない。むしろそれらを辛いと言うと、母親失格のように言われる厳しき現実だ。
イクメンは褒められるのに、なぜ「イクジョ」は当然の最低ラインのように扱われるのか。世の中、女性に対して万能感を求めるような風潮があってちょっと気持ちが悪い。
子育て=義務じゃね?
さらにイクメン本などでは、男性が育児することが以下にメリットがあるかを力説するものも多い。こんな楽しいことがあるよという感想に始まり、育児は仕事に活かされるという説まである。
しかし子供を生んで育てることを選んだ時点で、親にとって子育ては義務じゃないのか。父親も親の片割れとして、メリットがあろうがなかろうが子育てに参加するのがスジな気もする。
そうまで訴えないと子育てする気にならない日本の男性陣というのは、なかなかに哀しいものがある。逆になんでそこまで実の子供に関わりたくないのか、小一時間ほど話を聞きたいところだ。
ついでに子供がいずれは社会に出ていくことを考えると、社会全体で子育てに協力するのも義務だと思う。それぞれがそれぞれの義務をちゃんと果たせば、日本の少子化問題は自然と解決するんじゃないのか。
男性は勝手に父親には変わらない
わざわざイクメンという言葉があるのは、男性はそうやって意識しないと父親になれないからじゃなかろうか。
女性は子供を産むとホルモンなどの関係で母親の意識が芽生えるというが、男性にはそれが無い。子供が生まれれば夫も変わるなどというのは、ほとんどありえないファンタジーだ。
それはそれで致し方がないとも言えるが、問題は子供の世話と旦那の世話の両方をやらなくちゃいけなくなるということだ。子供だけでも大変なのに、大の男の世話などやってる暇はあるまい。
それを最低限のイクメンにするには、子供を妊娠した時点で子育てオリエンテーションなどに夫婦で積極的に参加することじゃなかろうか。とにかく育児に関して勉強させ、いかに子育てが大変化を分からせるのが良いのかもしれない。
小学校の家庭科からやり直せ
さらに言えば、もっと前の学校教育の時点から育児の男女平等を教え込むのが良いと思う。家庭科の授業で、子育てのことをもっと教えて欲しいものだ。
これは男性だけでなく、女性にもメリットがある。赤ちゃんの扱い方を皆が知っていれば、子育てを手伝いやすい。結果、母親の負担が減って子供を生んで育てるハードルが低くなるはずだ。
少子化問題を解決したいと言いながら、出産や子育ての知識を学校で教えないのは大きな矛盾だ。イクメンを増やしたいなら、学校教育に力を入れるのが遠回りなようで一番の近道だろう。
父親も、一応親だ。親が子供を育てるのは、特別なことでも何でもない。
理想は、いつしかイクメンという言葉が死語になることだ。イクメンと名乗ること自体が、時代遅れになる日がやってきてほしい。