福島の風評被害を晴らすカギは滝廉太郎の「荒城の月」にあった
東日本大震災から7年が過ぎた。だが福島への風評被害はいまだになくならず、地元の人たちは苦労しているという。
そんな福島の負のイメージを、どうすれば晴らせるのか?そのカギは、滝廉太郎の名曲「荒城の月」にあった。
荒城の月と福島
なんでいきなり福島の話になったかというと、先日知人のTさんが今やっている企画の話を聞いたからだ。Tさんは東北出身で、荒城の月をとおして福島を世界へアピールしようとしている。
荒城の月の作詞は、東北出身の詩人・土井晩翠による。晩翠は荒城の月を作詞するとき、宮城県仙台の青葉城址・福島県会津の鶴ケ城址・岩手県二戸の九戸城址をモデルにしたという。荒城の月は、東北と縁の深い曲なのだ。
Tさんは色々な方面にかけあい、ついに「荒城の月」のレコーディングを実現させた。そのレコーディングがこちらだ↓
ピアニストは妹尾哲巳氏、場所は福島市音楽堂の大ホールだ。
福島市音楽堂は日本でも有数のコンサートホールで、とくに美しい音の響きに力を入れたホールだという。確かに演奏を聞くと、音がよく響いてるなあという印象を受ける。
妹尾さんはメロディの編曲を多く手がけるピアニストで、同じ曲でもそのときどきで曲調が変わるという。いつも即興で弾くので、楽譜が手元にないというスゴい人だ。
動画の荒城の月を聞いていただければ分かるのだが、かなり個性的なサウンドに仕上がっている。作曲した滝廉太郎もこのアレンジを聞いたら「これ、俺の曲か?」と思うに違いない。一度聞いたら忘れられないメロディだ。
6月には、妹尾氏による荒城の月を収めたアルバムもリリース予定だという。どんな感じのアルバムなのか、ぜひ店頭で確かめてみたいものだ。
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福島の農作物は安全か?
Tさんは「荒城の月」を通して、東北の農家の力になりたいと仰っていた。Tさんだけでなく、地元農家の人たちも今回の荒城の月の演奏を支援していたという。
福島は、今もマイナスイメージが抜けきっていない。悲惨な放射能事故の後だから仕方がないんだろうが、なかには正確なデータや知識にもとづかない批判も数多くある。
だが福島などの農作物は出回る前に検査されていて、基準を下回ったものしか売ることができない。米の放射能線量などは、機械でも検出できるかできないかくらいかまで減っているのだ。
じっさいに基準をクリアした福島県産の米は、レストランなどの外食では多く出回っている。皆気づかないだけで、福島の米や野菜をふつうに食べているかもしれないのだ。
そうして出回っているにもかかわらず、福島県産のブランド名を堂々と出せない米は安く買いたたかれる。福島県産の米は、今も震災前より値段が低いのが現実だ。
風評被害は嘘だという声
福島の件は、風評被害じゃなくて実害だという声は多くある。そういう人たちの言い分としては、
・放射能汚染されたことは事実
・国の基準は信用できない
・マスコミは信用できない
・海外のデータだと危険と出ている
という意見が多かった。
確かに、放射能はこわい。私も「福島の米です」といって出されたら、やっぱり不安に思うだろう。いくら基準値を大幅に下回っているといっても、100%安全などと誰も言い切れない。
国もマスコミも、どこまで本当のことを言ってるかは分からない。一部の人がいうような陰謀論が、万が一にもないとは言えない。
だがこういう人たちは結論ありきでものを考えていることが多いから、データを冷静に検証するところまで頭が回っていない。そんなかたよった意見を真に受けるのは危険だ。
さらに放射能は危険だからと、よく分からないウォーターサーバーを売りつける輩もいる。国のデータは信じられないのに、こういう胡散臭いものは平気というのは不思議である。
国も福島の人たちも、放射能の基準や安全性についてはこれでもかというくらい神経を使っている。まずは、そういう人たちの意見やデータをじっくりチェックするところから始めるのが筋じゃないか。
風評被害という言葉は対立を深める
一方、福島の件を風評被害と言い続けるのも問題があるのかもと思う。この言葉は福島の人たちが弱者で、福島に不安を持つ人たちを悪モノにしかねない言葉だからだ。
東日本大震災の一番の被害者は東北の人たちだが、日本国民全体も被害者なのだ。ほんとうは被害者同士で国や東電にちゃんとした対応を求めないといけないのに、風評被害という言葉で対立するのは不毛じゃないか。
じっさい、原発のせいで土地や農作物が放射能汚染されたのは事実だ。それを不安に思うのは仕方ない。そういう部分を認めつつ、現状の福島について説明していくしかない。
また、福島や放射能のことを不安がるわりに、私たちには正しい知識が全く備わってないなと痛感する。不安ならまずは、自分たちでも放射能のことなどを勉強する必要がある。福島のことについても、現状を知るところからだなと思う。
福島のことを考えるカギ
だが震災から7年経って、福島のことを考えるきっかけ自体が減った。そこで最初の、Tさんの話に戻ってくる。
放射能や風評被害という言葉を全面に出すと、どうしても角が立つ。だが荒城の月という音楽を通じてなら、福島のよさを自然にアピールできるかもしれない。
そういうところから福島に親しんで、お米も食べてみる。そのお米がとても美味しかったら、放射能のイメージを差し引いても食べたいと思う人もでてくるはずだ。
人になにかを伝えるにしても、まず知ってもらう、興味を持ってもらうところから始めないといけない。文化・芸術というのは、知らないものを知るときのとてもよい取っかかりなのだと思う。
Tさんに限らず、福島の負のイメージを晴らすために頑張る人たちがたくさんいる。私は福島や放射能のことについては全くのド素人だが、そういう人たちがいることは伝えたいと思った。
福島の今後がどうなるかは分からないが、その人たちの努力が報われてほしい。