弱小在宅ライターの30代・枯れ女。ミニマリスト生活をしながら節約と断捨離を頑張る、七転八起な日々をつづります

学校に行きたくない病だった高校時代~貧乏生活から脱出を目指す~

公開日:2017.04.04 最終更新日:2017.04.17

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私が貧乏生活に陥るまでと貧乏から脱出するまでに辿る道のりとは?その半生を紹介します。今回は貧乏生活の原点と深くつながってくる、高校時代の話です。

すでに10代の頃より、人とはちょっと違う部分がありました。社会になじめなくて仕事も続かず、貧乏生活にハマった理由もそこにある気がします。

私が人と違う部分とは、どんなところだったのか?以下からどうぞ。

滑り込みで女子校に入学

私は、高校受験に失敗しかけ、ギリギリで女子校に滑り込み入学をしました。この時点で志望校とは全く違う学校で、テンションが上がらなかったのを記憶しています。

男子の視線がない女子というのは、実に開けっぴろげです。女子校というのはむしろ、女子が女子という枠組みから解き放たれる場所なんだとつくづく思いました。

朝の6時おきが辛い

高校は自宅から1時間かかり、朝の6時に起きないといけません。それまでの7時起きから1時間も早まって、地味に辛かったです。

そのくせ夜更かしが止まらず、一番ひどかったときは睡眠が3時間。当然、朝は眠くて眠くて仕方がないです。制服を着替える途中で居眠りしたこともあります。

制服に着替えたら、また居間のテーブルで横になります。とにかく家を出る直前まで、1分でも長く寝るのが最優先でした。

電車でも居眠りして、乗り過ごしたことも。「終電ですよ」と駅員さんから起こされると、予想以上にびっくりして慌てます。

ちなみに今は、早起きが自然とできるようになりました。詳しくはこちら⇒実録・貧乏系ミニマリストの生活。枯れ女の極めて平凡な1日。

クラスメイトの名前を覚えられず

私はクラスに全く馴染もうとせず、自ら進んでぼっち飯を教室で食べるような人間でした。当時は誰かと一緒よりも、本を読みながら弁当を食べる方が気楽だったのです。

とにかく他人に興味がなく、クラスメイトの名前もまともに覚えず。とはいえ会話は日直など事務的なときだけなので、不都合はほとんどなかったです。

ただたまに、「〇〇さんに回して」みたいな回覧板が来たときは焦りました。「確かこの人だったよな?」と、うろ覚えの記憶と格闘した末、人違いという痛恨のミスをやらかしたこともあります。

ただ、人の会話は意外と耳に入ってくるのです。あの子がどうの、あの先生がどうだという話を聞きながら、内心「女子って怖!」と思ってました。

私を「いじりがいがありそうだ」と思って近づいてくる人間もいましたが、こちらの反応が薄すぎて飽きられる始末。あまりにボーッとした人間は、いじめっ子からも相手にされません。

この「人の名前を覚えられない」という悪い癖は、今も健在です。何度も顔を合わせて話しないと、しっかり記憶が根付きません。もし会社で営業に配属されたら、1日でクビになると思います。

グループ授業が大の苦痛

そんな人付き合いがダメな学生が一番苦痛なもの、それがグループ授業です。「好きな人と組んで」と言われるのが、一番嫌でした。

2人組になるときは、ほかのあぶれた人と一緒になるのがお決まりコース。お互い無言で、実に気まずかったです。

そういえば席替えでも、教師が無理やり席を決めたことがありました。そんなときでさえ、あぶれ気味の人と隣の席にされたのが哀しかったです。多分相手は、私以上に哀しかったと思います。

今はそういうところも神経質になって、出席番号順でグループを組む先生が増えたんじゃないでしょうか。しかし決まったルールで分けてくれた方が、こちらも気楽というものです。

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楽しい寄り道は一切なし

友人もいないしお金もないしで、寄り道などは一切せず。高校へは財布を持っていかず、定期入れに小銭だけ入れていました。

今だったらたまの気晴らしにネットカフェに寄ったり、コンビニで買い食いでもするところです。が、当時はお小遣いも少なく、ゲームを買うために節約しないといけませんでした。

高校はバイト禁止でしたが、内緒でカフェで働いている人もいました。私はおしゃれなバイトにも興味がなく、もっぱら年末の郵便局へ。学生に混じって中年の男性がいたりして、哀愁が漂っていました。

夏の制服に納得がいかない女

ついでに距離を置いていたのは、クラスの人たちからだけじゃありません。色々と良く分からない規則を言ってくる教師も、好きじゃありませんでした。

特に一番納得がいかなかったのは、夏の制服についてです。

私の高校の夏服は靴下がダサく、皆から嫌われていました。そこで、冬服のベストに半袖を着るという方法が流行っていたのです。

ところが教師側は、冬服を夏服のように着ることを禁止に。皆はブーブーと文句を言いましたが、全く納得のいく説明をしません。ただ、風紀が乱れる云々とかだったと思います。

かくいう私も、夏服より冬服の方がおしゃれだと思っていた一人です。そして学校の禁止令にも納得がいかなかったので、堂々と冬のベストに半袖を着て登校。ただ私は影が薄いせいか、注意されずに済みました。

それでも6月になったら、絶対に衣替えをしないといけない決まりです。冬服の半袖作戦は、5月までしか使えませんでした。

今だったら6月になってからも、無理やり冬服を着続けたかもしれません。そもそもそれ以前に、スカートを履いて登校したかどうかも疑問です。

なぜ学校には制服などというものがあるのか、イマイチ分かりません。お金はかかるし冬は寒いしで、あまりメリットが無い気がします。

制服のスカートに納得がいかない話はこちらでも⇒生理が重い原因は生活習慣?生理痛が悩みの私がやっていた7つの過ち。

電車をわざを乗り過ごして終着駅へ

そのうち、高校に行くのが憂うつな日が増えてきました。1時間目が嫌な授業のときは、電車を乗り過ごして終点まで突っ走るのです。

終点の駅はガラガラで楽しいのですが、平日の昼間から制服姿の女子がウロウロしているのは実に不自然。駅員の視線を気にしつつ構内をさまよい、耐えきれなくなったら高校へ出席していました。

たまに学校へ行く気が起きないときは、行く振りをして近所に隠れていたこともあります。物陰でひたすら本を読み、学校が終わるまでの時間を潰していました。

しかし当時は、出席日数のことなど全く考えになし。1日の差で、危うく留年しかけるところでした。

何事もなく、3年で卒業できて本当に良かったです。

昔から社会不適合の素質は健在だった

こうしてみると、10代の頃より社会不適合の素質(?)は十分にあったんだなと思います。それでもまだ若かった頃は、普通に社会で生きることを目指していました。

しかし社会に馴染めないことをさっさと認めた方が、楽になったと思います。今なら10代の自分に、「もっと好きなように生きたら?」と言いたいです。

そんな私の高校時代は、受験シーズンに突入するともっと暗雲が垂れ込めます。その話は、またの機会に。

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在宅ライターとして働く、30代の枯れ女。去年の年収は60万円、格差と貧困の時代の申し子です。節約と断捨離を頑張る、七転八起な日々をつづっています。ミニマリスト生活を日々実践中です。
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